こんにちは!
青年海外協力隊でグアテマラでボランテイア活動をしていた、ともちんです。
前回エジプトでの体験について書いたのですが、今回は、グァテマラで感じた女性の強さについて書いてみたいと思います。
私はグァテマラ北部のペテン県というところに2年近く暮らしていました。
イッツァ湖という美しい湖のほとりに暮らす誇り高きイッツァ族の町の市役所で働いていました。
その町には日本人は私ひとりしかおらず、ホームステイをさせていただき、我ながらどっぷりイッツァの皆さんに浸かって暮らしていたと思います。
そんな暮らしの中で、心の支えとなってくれていた家族がいました。
いつも晩御飯をご馳走になる食堂の家族なのですが、日本人ということで声をかけられるのをかばってくれているのか?、食堂奥の厨房でご飯を食べさせてくれていました。
83歳になるスーパーおばあちゃんがそこの女主人で、おばあちゃんの子どもふたり(いい年のおじさん)が家族とともにそこで一緒に暮らしていました。
頻繁に、近所に住む子どもら(成人している)や孫たち、ひ孫たちが出入りし、居候のお兄さんもいる賑やかなお家でした。
そこで出会った恋物語について書いてみたいと思います。
ケース①子どもに好きな人の名前を(父親は違う)
食堂には常にひとり雇われの女の子がいて、私も仲良くなりました。
すぐ辞めてしまうので、3人くらい交代したでしょうか。
あるひとりの女の子(今思えばハタチ前後だったのかな…)が、食堂の居候お兄さんに恋をしました。
しかし、そのお兄さんはグァテマラ人にしては珍しく?カタブツで、本当に鈍感だったのか知りませんが、女の子に手を出すことはありませんでした。
その女の子は仕事を辞めて、自分の村に帰ったようでした。
数カ月後、私は、偶然その女の子と道で再会しました。
その子は生まれたばかりの赤ちゃんを抱いていました!!!
名前を聞いたら、なんと、居候お兄さんの名前をつけていました。
しかしどうやら父親は居候お兄さんではないようなのです。
なぜその名前を付けたか聞くと、
”だって…その名前が好きだから”
と答えました。
どうやら、あまり好きではない人と関係を持って、生まれた子に好きな人の名前を付けたようです。
結婚などはせず、実家で育てているようでした。
ケース②結婚はせずともその人との子どもを産む
しばらくすると、また違うスタッフの女の子が来ました。
恰幅が良くて、人当たりもいい子でした。この子もハタチ過ぎくらいかな…。
食堂の仕事が終わるのが夜8時頃。
食堂のおじさんが毎晩家までバイクで送ってあげていたようです。
そして、いつしか女の子はおじさんに心惹かれるようになり、なんと、帰り道の行為でおじさんの子どもを身ごもってしまいました!!!
このおじさんはグァテマラでの私の一番の大親友であり、毎晩たくさんおしゃべりした仲なのですが当時26歳の私にとって45歳くらいのおじさんは完璧に恋愛対象外で、相手もそうだったと思うのですが、
なんとこのおじさん、ハタチくらいの女の子に手を出していたのです。
でもね、なんか、そんな話周りによくありました笑
おじさんたちは若い子に結構人気でした。
でも、その女の子曰く「言わないように口止めされている」らしかったので、私から特におじさんとこの話題をしたことはありません。
何より、その子が、結婚などは無理でも、そのおじさんの子どもを身ごもったことをとても嬉しそうにしていました。
本人がいいのならこれ以上のことはありません。
私は帰国の日が迫って、生まれてくる子に会うことはできなかったので、アンティグアで買った可愛い靴をプレゼントしてお別れしました。
感想
内容だけ読めば、
「な〜んだ、そんなこと日本でもよくあるじゃない」
と思われたかもしれません。
事実だけを見るとそうです。
しかし、日本だとこうなると女性が被害者意識を強く持つと思うのですが、
私が出会ったこの二人は、圧倒的に「してやった感」「幸福感」が強かったのです。
何より、可愛い可愛い赤ちゃんを授かったという喜びに満ちていました。
グァテマラでは、まだまだきょうだいの数が多いため、上の子が下の子の面倒を見たりだとか、小学生くらいで甥っ子姪っ子の面倒を見ていたりだとか、よくあります。
私より圧倒的に赤ちゃんの扱いが上手い子どもたちばかりでした。
また、家族や親戚が近くに住み、離婚して伴侶と離れていても、皆で助け合って暮らしていました。
日本よりはるかにはるかに、育児不安は少なく、孤独な子育てとは程遠い人たちだったのだと思います。
振られてもタダでは起きない強い女性…。
というか、もともと結婚を望んでいなかったのかな、とさえ思います。
結婚していないのに「子どもができた」→シングルで育てられるか不安
となる日本とは対照的で、価値観を揺さぶられる出来事でした。
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