皆さんこんにちは。
前回の投稿から少し間が空いてしまいました。
今日は、嬉しいことがありました。
私は現在保育士として、発達障害を含む専門的なサポートが必要な子どもたちと関わる仕事をしているのですが、
一方で、小学生と幼稚園の子どもを持つ保護者でもあります。
ふしぎなもので、
「先生」
と呼ばれる立場にいると、偉そうなことが言えたり、対策なんかを冷静に考えられたりするのですが、
自分の子どもが相手になると、てんで駄目ですね笑。
とりあえず、客観的に考えられなくなります。
あと、手を出してはいけない、と思いつつも、つい手を出してしまいます(その後の家事が溜まるのが嫌で…)。
そんなわけで、我が子の教育は幼稚園や小学校の先生方に甘えてしまっているところもあるのですが…
日々感謝しつつ、家では親子ともに甘えた楽チン子育てを目指しています。
今日、嬉しいことがあったのは、幼稚園の先生から掛けてもらった言葉です。
私の下の子は、幼稚園の制服を来たがらないのですが(100人ほど園児がいる中でただひとり私服なのですが)、
私は制服着る着ないはその後の成長にあんまり関係がないと思っているんですね。
ただ、そういうルールのある場所にお世話になっている以上、ルールを守ろうという気持ちはあるわけです。
とは言え、「頭と心が別行動」してしまう子どもの気持ちもわかるわけです(大人でもそんな時ありますよね)。
そもそも、私自身が幼稚園の時、主張が激しく、先生に諭されるたびに「別に幼稚園来たくて来てるわけじゃないし」と思っていた記憶があります笑。
「みんな困っちゃうよ」とか、「みんなしているよ」という言葉に、「だから何?」と思っていました。覚えています。
だから、正直言うと、幼稚園の先生とか学校の先生とか自分には絶対合わない職業だと思っていたんです(それが今保育士になり、幼稚園教諭の取得も目指している…)。
でもね。
上の子の子ども園で。
今は下の子の幼稚園で。
主張の強い我が子たちに辛抱強く付き合ってくれる先生たちには本当に感謝しています。
本当はね、子どもたちが嫌がったら転園とかしてもいいし、別に幼稚園行かなくてもいいと思っていたんです。
でも、制服着るのは嫌だけど、幼稚園は楽しいらしい…。
先生方のおかげだと思います、本当に。
で、なんて言われたかですよね。
今日、お迎えの時に先生と話したら、先生がうちの子がスモック着ないのをどうにか工夫して楽しく着られるようにできないか考えて下さっていました。
子どもが好きなアリエルの画像を出したりして、「この絵があったらスモック着たくなるかな」と話しかけてくれていました。
私は、スモック着る着ないではなく、先生が、「着て欲しいな」という気持ちと「喜んでくれるかな」という気持ちの折り合いをつけながら、時間を割いて下さっているところに愛情を感じてすごくありがたく思いました。
そのことをお伝えすると、
「お母さんを見ていると、〇〇ちゃん(←うちの子の名前)がどう育つか想像ができています。
安心していますよ」
と、言って下さったんです。
とても嬉しくて泣きそうでした。
今日はその後、子どもたちにとっても優しく接することができました。
実は、以前、違う保育園に通っていた時に、うちの子によくパンを食べさせている(連絡帳に食べたものを書かなきゃいけなかったのです)ことを咎められて、
「〇〇ちゃんの将来が、食を軽んずる子になると心配している」
「パンを多く食べた子は発がん性が高いと言われている」
とご助言をいただいたことがあったんです。
多分、好き嫌いも激しいので、心配して言って下さったと思うんですね。
正論であったかもしれません。
だけど、言われた時は、ショックで、家で号泣しました。
子どもが好き嫌いが多いのは、なんとかしなきゃと親が一番思っているんです。
でも、どうにもならないところもあるんですよね。
そこを指摘されると、気にしているところだけに、とても傷ついたんです。
その時に思いました。
保護者の方にかける言葉は、正論であるとかないとかは関係ない(というか、正論であるほど傷つけてしまう)。
保護者の方が自分を好きになれるような支援じゃないとだめだ。
今日、まさにそう言った言葉がけをしていただいたと思いました。
保護者が自分自身を好きになれたら、子どもが自分を好きになれるように育てることができる。
今日、身をもって感じました。
もちろん、保護者と養育者が日々のコミュニケーションを取っているからこそ、嘘っぽくないセリフが出てくるのだと思いますが。
明日から、私もそういう言葉がけができる養育者を目指したいと思います。
読んでいただいてありがとうございます。
コメントを残す