はじめまして、ともちんです。ご訪問ありがとうございます。
今日から、発達障害の支援者として日々感じていること、悩んでいることなどを綴っていきます。少しでも、発達障害のお子様を育てられている保護者のお力になれば、と思いこのブログを立ち上げました。私の教育への熱い思いを受けとめて下されば幸いです。
目次
皆さんこんにちは。
私は現在療育施設で働いている保育士です。
発達障害のお子さんと関わる中で、思ったこと感じたこと、私自身が学んだこと学びたいこと、そんなことを書いていきたいと思います。
初回と第2回目では、現在の仕事に至るまでの経緯と動機を書かせていただきたいと思います。
3回目以降では、ブログの本題を書いていきますね。
このブログの読まれている方は、発達障害について既にご存知の方だと思いますが、改めて簡単に整理してみようと思います。
~発達障害とは~
発達障害と聞けば皆さんはどんなことを思い浮かべますか?
「なんだか人と違う…」
「空気が読めない…」
「落ち着きがない」「パニックになる」「視線が合わない」
など、ネガティブなイメージを思い浮かべる方もおられるでしょうか。
一方で、
「ある才能に特別に長けている」
「決められた手順を遂行する力がある」
など、その才能を認める声や、
「何に困っているのかわからない」「どんな支援が必要なの?」
と、全くイメージが湧かないと言った声もあるかと思います。
そうなんです。
ひとことで「発達障害」と言っても、その現れ方は様々なのです。
一般に発達障害とは、
○ASD(自閉スペクトラム症)
○LD(学習障害)
○ADHD(注意欠如・多動症)
の三つのいずれか、または重なり合っている障害を持つ場合を言います(知的障害を併せ持つ方もいる)。
重なり方や程度も人により様々で、その日のコンディションによっても現れ方が違うので、当たり前のことですけど、「同じ子はいない」んです。
私も職場で、「この子はこんな傾向があるのかな?」と仮説を立てて支援計画書を書くのですが、結局はその子次第。
その子自身に心を寄せてある一定の長い期間観察してみないと本当に実りのある支援はできないと感じています(障害のあるなしに関係なく、ですが)。
「他の子達と比べるのではなく、過去のその子と比べよう。
芽吹くべき時に芽吹くことができる支援ができているか。
なんの花が咲くのかはその子によって違うし、芽吹きの時期は花咲く時期はその子によって違う」
このことは、私の尊敬する古山真紀子さん※1という方がおっしゃっているのですが、本当にそうだと思い、胸に刻んでいます。
~私が発達障害を持つ子と関わりたい理由~
きっかけは友人の誘いで働いた日中一時支援事業所で障害のある子どもたちと接して、とても楽しかったけれど、どう接してあげたらいいかわからず困らせてしまったという後悔の気持ちからです。
特に発達障害という診断を受けた子の中には、本人の悩みが理解されにくく、「頑張ればできるだろう」と支援が見落とされることもあります。
障害に限らず、自分と違う文化のある人と接する時には、意識して特徴を学ぶことが必要です。「自分と同じはずだ」という感覚論ではうまくいかないことが多いです。
配慮や知識不足による後悔や反省点も多く、自分の支援の質をもっと高めたいと強く思ったことが今の活動の動機となっています。
また、次回にゆっくり書きたいと思いますが、私自身が「ひと」に対して恋心みたいなものがあり、「もっと知りたい」という気持ちが強いのです。
当事者ではない、と書きましたが、「支援者としては当事者」であるとも言えます。
所詮、私がご本人や家族の本当の気持ちをわかってあげられないと葛藤を抱えながらも、それでも側で何かできることはないか模索しています。
それはもはや障害のあるなしに関わらず、これまでに出会った子どもたちの顔を思い出すと自然と湧き上がる感情です。
次回、ひとへの恋心について少し書きたいと思います。
もともとは私は保育畑の人間ではないのです…。原点は、意外に海外長期生活での出来事にあります。
※1:古山真紀子さん…発達に凸凹のある子どもを持つ親の子育てサポーターとして、岡山を拠点に活動されています。
www.youtube.com
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