ひたすらに応援してくれた母(ちょっと自分の話を…)

ひたすらに支えてくれた母




みなさんこんにちは。

ともちんです。

今日は、趣向を変えて私の母の話をしてみようと思います。

母の子育ては、基本的に「ひたすらに」「子どもを応援する」

というものだったと思います。

私は、少し変わり者の子どもだったかもしれませんが、家族のおかげで孤独を感じるということはありませんでした。

自分が人の親になって自分の人生を振り返ると、

あの親だったからなんの問題のないような人生だっただけで、人によっては大問題のような人生を送ってきたような気がします。

「一般的な親目線」を意識して私自身の人生を書くと、こんな感じです。↓

◉乳児期:問題レベル★☆☆

母親でなければ大泣きで、母は自宅で塾を開いていたけれど、おんぶしながらやベビーベッドを教室に入れて授業をしていた(この頃の父の日記には「お母さんはお仕事なんだよ」と言い聞かせたり、私がよく懐いている人にベビーシッターをしてもらったり、試行錯誤している様子が書かれていた)。

◉幼児期:問題レベル★★★

幼稚園の年少クラスに入園。年中にいる兄のクラスに入り浸る。

母が様子を覗いたら、兄のところにいるか職員室で放心しているため、時間の無駄だと思ったようで退園。その後二箇所ほど園を見学するが、ぴったりくるところはなかったようで、母・兄・私で、海や山や水族館など毎日校外学習状態(幼稚園での友だちはできなかったが近所の団地や親戚の子とよく遊んでいた)。

幼稚園に行っていた8ヶ月の連絡帳を見ると、先生からは集団に馴染めなくてお困りの内容、母からは「いつもありがとうございます。本人も色々と考えているようです」という返答が書かれていた。

◉小学校入学前後:★★☆

自分でも覚えていないけれど、女の子の格好がすごく嫌で、水着も海パン、坊主頭の時期があった。スカートなんてもってのほかで、小学校の入学式には、母がフォーマルなズボンを縫ってくれた

余談だが、小学校1年生まで指しゃぶりがやめられなかった。母も保健所かどこかに相談したようだけど、「愛情不足です」と言われ、「そんなはずはない」と思ったようで、放置。そのうち自然に治まる。

また余談だが、市営プールで「なんで女なのに海パン?」とバカにして来た男の子がいた。そばにいた父がせっかくにこやかに「女の子だけど、海パンが好きなんだよ」とか説明してくれていたのに、私は水中で思いっきりその子を蹴り飛ばしてしまった。その節はごめんなさい。

◉小学校・中学校:問題レベル0(たぶん…)

自分の中では全くマイペースだったが、意外に優等生として過ごす。

部活に励み、勉強もそれなりで、友人関係も良好に過ごす。

先生によっては好いてくれるようで、望んでいないのに鼓笛隊の指揮者や生徒会の副会長などをすることになる。

ただ、若い担任の先生には方向性の違いでよく反発していた(今思えば当時先生は24歳くらいだった…今の私よりだいぶ年下。大変だったろうな)

◉高校入学直前:問題レベル★☆☆

受験時にランクを落とすように言われたが、計画通り勉強したら落ちないだろうと思って志望を変えなかった。

そして第一志望の高校に無事入学(県下一の進学校で今ネットで調べたら偏差値71とか書いている。人生で一番脳に詰め込んだ時代)。

中学校の上位10番以内が合格圏だったけど、最後のテストで30番くらいだったと思う。

中三の三者面談には父が来てくれたのだが、ランクを落とすように諭す先生に父も「大丈夫でしょう」の一言で、全く関係のない話を始める(しつこいけど24歳の先生…大変だったろうな。お世話になりました)。

◉高校一年生:問題レベル★☆☆

「こんな楽しいことあるの!?」ってくらい友人に恵まれ、楽しい学校生活を送るが、全く勉強せず(理由を書くと長くなるので割愛)。

笑い声がうるさくてよく注意されていた。

◉高校二年生:問題レベル★★★

成績が悪く下から二番とかになって先生に呼ばれる(優しい女性の真面目な先生だった。ご心労かけたと思う)。

両親もさすがに…と思ったのか、家庭教師をつけてくれるも、苦手な数学はいつも一桁。ある日、0点を取ったら、天然の母が「名前にマルをつけてくれている!!」と喜んでいた。家によく遊びにくる私の友達に「お母さん、もっと勉強頑張らせないと」と言われてた。

一念発起して世界史を頑張ったら60点くらいだった。それでもクラスがスタンディングオーベーションして握手を求められた平和なクラス笑。先生はどう思っていたか知らないが…。

◉高校三年生:問題レベル★★★

三年ともなると先生たちも諦め、私も部活が終わったら燃え尽きてしまい、遅刻がちな日々。自分探しで沖縄に一週間ほど脱走(親にも先生にも言っていった)。しばらくして再び二日ほど埼玉に住む兄の家に脱走(親にも先生にも言わず、埼玉着いてから電話した。先生は呆れていた)。

このころの通信簿を読むと、先生からは「学業にもっと力を入れて」という内容が常で、母からは「いつもありがとうございます。いつやる気の芽が出ますやら…」という感じの当たり障りのない返答。

卒業するも、無為に過ごす。

◉高校卒業後:問題レベル★★★

週に一度のバイト以外は無為に過ごし、ぶくぶく太っていく私を見て母がマタニティ服をプレゼント笑。それがショックで頑張ろうと思う。

勉強については諦めていたが、高校の先輩に勧められ東京に夏期講習を受けに行く。教え上手な講師陣に感動し、親に頼み込んでそのまま予備校に入学させてもらう。

◉浪人時代:問題レベル★☆☆

半年の勉強では志望校に届かずもう一年頑張ることにする。

親としては大きな出費だったと思う。

朝に弱い私に、毎朝FAXを送ってくれた。

でもやる気は十分。結局、当初の志望には届かなかったが、沖縄の国立大学に入学。高校の時に沖縄への脱走を許してくれた先生に挨拶しに行く。

沖縄では夢のような楽しいキャンパスライフを送りました。家族も何度も遊びに来ました(母はスキューバダイビングにチャレンジしたくてジムと水泳に通い始め、私とふたりでライセンスを取りました)。

そんなわけで、つらつらと書いただけで、私が親ならその度に悩んできそうです。

いや、私の両親も悩んできたかもしれません。

でも、世間体に合わせてこうしなさい、と言われたことは一度もないように思います。

そう思うと、私も、

これくらいのこと(その子が持っている大事なことをひたすらに認め応援する)はしなくてはいけないなあ、と思うのです。

最後に、

◉大学時代〜現在:山あり谷ありだったけど、その度にひたすらに応援してくれた家族。言われた言葉で心に残っている言葉を紹介して終わりにします。

父「(「青い鳥」の未来の国の話から)ひとりひとつ、何かを持って生まれて来てるんだよ。それを大事にしないと」

兄「(周りに合わせて進路を決めようとする私に)周りに合わせてる時間あるの?」

母→特に何を言われたか記憶にないけれど、私が進路について決めたことの99%は無条件に大賛成してくれていたと思う(欲しいものを買うのにお金がないからダメとか、イライラしていて叱られるとかはちょいちょいありましたが笑)。

なんなら、フライングで私以上にその分野について調べていて、「自分で調べさせてよ〜」と泣いてお願いしたことがあります笑。




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