発達障害について、整理してみましょう。(2)

発達障害




みなさん こんにちは。

今日、職場で避難訓練をしました。

前の職場ではしたことがなかったため(建物も小さく人数も少なかったためか?でもしたようが良かったと思う)、職員として参加する初めての避難訓練でした。

サイレンが鳴り、避難の際に担当になった子が、いつも靴、靴下を履きたがらない子…!!!

履かせる余裕もなく、抱っこで避難しました。

うーん。

その子は自分で歩ける子なので、本来なら抱っこは不要なのですが、実際の災害時は割れたガラスなどもあるかもしれないので、裸足のままでは抱っこは必須になりますね。

私は本来は、「そんなに嫌なら無理しなくてもいい」と思っているのですが、自分で歩く子は靴を履く習慣があるに越したことはないなあ…と思った日でした(その子は履くのがそこまで嫌なわけではないのですが、時間があるとすぐ脱ぐ)。

本題に入りますね。

前々回、発達障害とは?を佐々木正美先生の著書を元に整理してみました。

実際当事者の人たちがどう感じているか、求められる周囲の対応について、小学四年生の子の文章をご紹介しました。

そして、前回は、少し「障害」という言葉の意味について考えてみました。

「障害者」は英語では”handicapped”と受け身形で書かれることに注目して、障害者の意味は「障害を被って(こうむって)いる人」だという話をしました。

その人自身に上手くいかない全ての原因があるわけではなくて、周囲の理解や適切なツールや支援体制が整っていないことが「障害」であって、障害者とはその障害を被っている人だという認識です。

着目すべきは、障害があるなしではなく、「生きづらさ」を感じているかどうかです。

では今回は、発達障害群のうちで、もっとも代表的な自閉症について掘り下げていきたいと思います。

発達障害のほとんどは自閉症の特性と重なるそうです。

というか、佐々木先生によると、

「ひとつの連続した問題について、症状や兆候を多様な角度から見ているにすぎない」

とあるので、「発達障害」と診断されて、ASDでもありADHDでもあり、LDでもあり、という方は、風邪(病気に例えるのも不適切かもしれませんが)の中で、熱があり、鼻水があり、咳があり…というようなイメージだそうです。

同じ風邪なのですが、熱が高い風邪だったり、鼻水が出る風邪だったり、せきがひどい風邪だったり…

 同じ人間であってもその時で現れ方が違ったりもするわけですね。

ADHDの特性、LDの特性はまた次回にご紹介しようと思いますが、発達障害に共通するASD(自閉症スペクトラム)の特性について、前回に引き続き、佐々木正美先生の『子どもへのまなざし完』から紐解いていきたいと思います。

発達障害の特性について

 ①目で見て理解する力が強い

 ②話し言葉が苦手

 ③一つに一つの理解

 ④時間と空間の意味が理解できない

 ⑤見る範囲が狭い

 ⑥感覚機能の違い

 ⑦一度に一つの理解

 ⑧同時総合機能が働きにくい

 ⑨想像する力が弱い

 ⑩ものごとを忘れることができない

 ⑪素直で正直で一直

(『子どもへのまなざし完』より)

このように述べられています。

ちょっとここからは個人的な感想になりますが、実際に発達障害の人と接してみて、個人的に思うことを書いてみたいと思います。

①についてですが、発達支援事業所でも発達支援センターでも、絵カードなどを使った視覚ツールは頻繁に使われています。

視覚に強いという特性も個人で違いますから、「この子には必要ないのでは?」というケースもあります。

今はネットや書籍でもたくさんの支援ツールがありますから(手作りされている方も多い)、その子の様子によって利用するのもいいと思います。

②の、「話し言葉苦手」というのも①に通ずるところがあるのかもしれません。

ただこれも、個人差があるのでは…と思います。

ただ、「話せるけれど聞くのは(相手の意図していることを読み取るのは)苦手」という人もいるようです。

(こんな話をすると、私が外国に住んでいた時のことを思い出します。

自分のわかる言葉で話すのはむしろ容易なのですが、それで相手が話せると判断して色々話しかけてくれると、言葉の主が自分ではなくなるので一気にわからなくなりました。

 話すより聞くのが容易だと思うのは、それが母国語である場合だと思います)

だから、その人が流暢に話しているからといって、こちらの言っていることもわかるだろうと思うのは、そうとも限らない、ということがあるようです。

 ③一つに一つの理解、ですが、「抽象的な表現が苦手」ということなのだと思います。

たとえば、以前、鯉のぼりを療育の教室で飾っているときに、先生が「鯉のぼりがたくさん泳いでいるね」と言いました。

すると、側にいた子が、

「泳いでないよ」

と言っていました。

彼にとって「泳ぐ」とは「水の中で自走する」という意味なのだと思います。

空間の中をたなびいている様子に「泳ぐ」と言われても一致しなかったのではないでしょうか。

ただ、重度の自閉症で作家の東田直樹さんの文章など読むと、私からすると抽象的な表現も多く用いられており、これも個人差があるということなのでしょうか。

それとも、こちらの抽象的な言い方とたとえば東田さんの抽象的な言い方が違うのでしょうか、東田さんにだけに感じる景色があるのか、それはわかりません。

続きは次回にして、今回は最後に東田直樹さんの『ありがとうは僕の耳にこだまする(角川学芸出版)』から、詩を一つご紹介して終わりたいと思います。

「ありえない世界の案内役

どっちみち変わらない

僕らの中にあるものは

ひとりで苦しみ

ひとりで悩み

いつも孤独に涙する

誰かと一緒に過ごしても

みんなと同じに笑っても

決して気持ちは通じない

明日という日が見えないよ

僕らの中にあるものは

自由という名の不自由さ

ありえない世界の案内役

みんなが気にもとめないこと

誰もが忘れてしまったこと

少し遠くに見えるもの

それを守り抜くことが

自閉の僕の生き様だから(p146,147)」

東田さんの詩を読んでいると、自閉の人は抽象的な概念が苦手というよりかは、同じ景色を見ても感じているものが違うのではないかと思ったりします。

「自閉症の人は共感覚の割合が高い」という研究結果もあるそうなので、そうかもしれないなと思います。

読んでいただいてありがとうございました。

次回に続きます。




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アラフィフ女子です。お金、旅行、料理、生き方、世界の話、食べ歩き 北欧スタイルのインテリアなど自分の好きなことを発信しています。