この子らを世の光に(2)

この子らを世の光に




みなさんこんにちは。

前回は、人の命も輝かそう、ただそのためには自分自身を輝かせなければならない。

そういったことを偉人たちの言葉や友人の体験談から感じたというお話をしました。

今日は、その、灯りをともす心というものがどんなものなのかを考えてみたいと思います。

障害がある方は、確かに不自由なことがあるのかもしれません。

伝えたいのに伝わらないもどかしさがあるのかもしれません。

そんな中でも、覚悟を持って心の王国を守り抜いた方の詩をご紹介したいと思います。

木多啓介さんという方が、前述の柴田保之先生の研究室にてスイッチとスキャンワープロを使い書いたものです(以下引用)。

つらいことも たくさん あるけれど

わたしたちにも りかいされる ときが くるのですね。

うれしいです。

わずかな ちからでも つたわるのが ふしぎですが ゆめのようです。

りかいできていても つたえられなく もうむりかと あきらめかけていたのでうれしいです。

どうして みんなわかっているとおもわれないのか とてもはがゆいおもいをしてきましたがわかってもらえてしあわせです。

じょうひんな むかしのゆめも もう みられないだろう。

ぼくにも にんげんとしてのほこりがあるから

わずかなじかんしかのこされていないかもしれないので

ぼくはぼくらしさのあかしをのこしておきたい。

つらいことはなかったといったらうそになるだろうが

ぼくのじんせいはきぼうとともにあった。

にんげんのじりきはとてもすばらしいもので もじにはとてもあらわすことはできない。

わざわざことばにしなくていいことだけど ぼくのかくごはかたちにしておきたい。

もしみんなにいきるいみがなかったなら もくもくとただいかされているだけになる。

だからぼくたちは

つねにみらいをつかもうとどりょくしてきた。

わずかなわずかなみらいだけど、ぼくはよいわと もともとのへいせいなこころをだいじにつむいできた。

だからむかしからにんげんとして そんげんをだいじにしてきた。

そんなかくごをつねにいだいていきてきたので つねにしあわせだ。

とつぜんしはやってくるかもしれないが

むざんなしはむかえたりすることはない。

(『ユー・アー・エンゼル!』幸福の科学出版 より)

啓介さんは2歳になる直前に、腎臓の病気で発作を起こして倒れてしまいます。

一命は取り留めたものの、寝たきりの生活が始まります。

17歳まで一切の表現方法を絶たれた啓介さんが柴田先生と出会い、スキャンワープロを使って書いた文章でした。

ネルソン・マンデラ元大統領がが27年の獄中生活の中で、支えにしていた「インビクタス」という詩があります。

クリント・イーストウッド監督の同タイトルの映画がありましたね。

「インビクタス」とは、「征服されない、屈しない」という意味ですが、啓介さんの詩にも同じような凛とした空気を感じます。

I am the master of my fate.

I am the captain of my soul.

(我が運命を決めるのは我なり

我が魂を制するのは我なり)

”インビクタス”より引用

昔この映画を見たことがあるのですが、この記事を書くにあたって予告を見直しました。

予告だけで感動して泣いてしまいます笑。

どんな時にでも自分の心だけは自由なんだ、自分の心の主は自分なんだという気持ちを強く持ちたいと思わされます。

物理的な不自由があったとしても、

自分の心は自分のものです。

同時に人の心もその人のものです。

そのどちらも大切なことです。

ただ、それを自分の腑に落とし込むことはとても難しいことだなあ…。

そういったことを今日は考えました。

では、今回も読んでくださってありがとうございました。

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アラフィフ女子です。お金、旅行、料理、生き方、世界の話、食べ歩き 北欧スタイルのインテリアなど自分の好きなことを発信しています。