発達障害をどう伝えるか




みなさんこんにちは、ともちんです。

 

支援員として日中一時支援事業所に勤務、また、保育士として児童発達事業所に勤務した経験があり、現在は少し規模の小さい保育所で働いている、ともちんです。

 

このブログでは、「支援者の目線で」発達障害というものを見つめて得られたもの、悩んでいることなどを発信できたらと思います。

 

保護者という密接な立場よりも、少し引いた目線で感じることを書いていきたいと思います。

 

さて、今日は、私が最近悩んでいることを書いてみたいと思います。

 

これまで勤めていたところは療育の事業所であり、既に発達障害であることを認めている親子が訪れています。

 

今の勤務先は保育園なので、たとえば発達障害の疑いがあってもまだ適切な診察を受けてなかったり、親御さんの意識がそちらに向いていないケースのお子さんが通園する事もあります。

 

そんな時に、保育者・支援者としてどのようなことを心がけたらよいかを書いてみたいと思います。

 

心掛けたいこと① 安易に「障害」というワードを出さない

そもそも、私自身はこの「障害」という言葉自体が不適切だと思うのですが、現状では最も使用頻度が多い言葉となっております。

「障害」という言葉が保護者の方や世間に与える印象は、マイナスの要素が多く、実際に発達障害と診断されたお子さんと接していて感じる魅力や長所さえもかき消してしまうかのようなパワーがあります。

自分自身が差別意識がないという意識がある人ほど、不用意にこのような言葉を保護者の方に投げかけてしまうのかもしれません。

もしかしたら、保護者の方によっては変に気を使われるよりもその方がいいという方がいるかもしれません。

しかし、私自身がひとりの親として考えると、向こうにそのつもりがなくとも、こちらの精神状態によっては(疲れている時や自信のない時など)、マイナスの考えが頭を支配してしまう時があります。

「障害」という言葉自体には罪はありません。そのことは以下に述べたいと思いますが、社会の慣例の中で、「障害」という言葉が持つインパクトは時に人を苦しめてしまうことを意識して、慎重に扱わなければいけないと思っています。

 

心掛けたいこと② 「障害」という言葉に惑わされない自分なりの見解を持つ

障害とは、なんでしょうか?

私は、医学的や便宜上使われる「狭義的な障害」という言葉と、社会の通念として持つ「広義的な障害」という言葉は区別されるべきだと思っています。

医学的には発達障害は脳の機能障害と言われております。ここでも、「障害」という言葉がマイナスに響いてしまいますが、要は「脳の作りが多数派とは違う」ということです。

多くの人が「聴覚」情報でキャッチするものを、自閉症と診断を受けた方が「視覚」情報でキャッチする方が得意である…とか、そういう得手不得手のレベルで考えると、多くの人が「右手」の動作が得意が右利きだとしたら、少数派の人は「左手」の動作が得意な左利きである…というような受け止め方もできると思います。

つまり、医学的な狭義の意味では、左利きの人には左利きに適した道具やサポート体制が必要ですよ、と伝えるために「脳の機能障害がある(もっといいイメージが持てる言い方はないのかと思いますが)」という言い方をしており、それ以上でもそれ以下でもありません。

また、社会の通念として使われる広義の「障害」という言葉は、それはその人自身が「社会の障害」なのではなく、「社会の体制がその人にとっての障害」である、ということです。

この辺りが大きな混乱があると思うのですが、英語では障害のある人のことを“handicapped”と受け身形で表します。これは、「障害をこうむっている」という意味です。ですから、社会の体制やツールがなくなれば「障害」「ハンディキャップ」はなくなる可能性があると言うことです。

現状では脳の機能障害も社会におけるハンディキャップも、すべて「障害」という言葉でひっくるめられ、その人自身に何らかの問題があるかのようなイメージが出来てしまいます。

普段の会話では、広義の障害という意味を用いることが多いと思いますが、支援者は「障害」は「こうむる」という受け身形だということをはっきり意識しないといけないと思います。

 

心掛けたいこと③保護者の話を聞く

基本的に、保育者は受容の姿勢であるべきだと思います。

それはなぜかというと、簡単です。

保育士のバイブルとも言うべき、保育所保育指針に書いてあるからです(保育所保育に関する基本原則)笑。

特に私は、試験で保育士の資格を取得したので、特に「保育士とはこうあるべき」という文章にとらわれているのかもしれません。

でも、指針にこう書かれているというのは、時代の流れも必ず汲んでいるということです。

昨今は、少子化も進み、核家族化も進み、育児不安を抱える親御さんたちも増えています(私もいち保護者です)。

親のストレスはすぐに子どものストレスに繋がります。

自分自身を顧みても、自分が受容されていないと子どもを受容することはなかなか難しいと感じます。

保育園に来ている子どもの幸せを願うならば、やはり親御さんにも幸せになってもらわないといけないのです。

 

心掛けたいこと④障害の有無ではなく、大事なのは「支援が必要かどうか」

 

私の尊敬している方に、お子さんもご自身も発達障害の認定がされたという方がおられるのですが、その方は、「発達障害とは文化が違うだけかもしれない」というようなことをおっしゃっています。

例えば、アメリカ人と日本人が文化が違うと思った時に、本人が困っていないのに「こうした方がいい」と強要するのは失礼ですよね(その違いによってこちらが迷惑なことがあるとしたら、それを伝えることはあると思いますが)。

長年保育の現場にいる、今の職場の園長先生にも質問してみましたが、園の方から「この子には発達障害の疑いがある」と言うことはほぼない、と言っていました。

基本的には、親御さんからの相談や質問から始まり、そこに力になれることはないかと言うことで初めて発達障害という言葉が出てくるということです。

「発達障害」は、本当にそのネーミングが合っていないと私は思うのですが、捉え方や得意なことが異文化というだけなのです(ただ、異文化の程度は大きければ大きいほど、親御さんやご本人の孤独や苦労は大きくなる可能性は高いと思います)。

変えたり、矯正したりするようなものではなく、もし文化の違いに悩み迷っていたら、橋渡しをする、というような感覚でいいのだと思っています。

 

心掛けたいこと⑤質問があったときのために、療育や支援の情報を正確に頭に入れておく

これは、プロとして心得ておきたいことのひとつだと思います。

しかし、意外に、保育園に長く勤めている人でも、発達障害に関する知識があまりない方もおられます(私もまだまだ途上ですが)。

これは、佐々木正美先生の「子どもへのまなざし 続」という本を読むと納得がいくのですが、少しご紹介したいと思います。

自閉症の子どもはどんな年齢のときでも、全体的にみても、一般の子どものような様子を示すことはないのです。

一般の子どもとは全然違った発達の道筋を歩んでいきます。(『子どもへのまなざし 続』福音館書店 p.293)

 

(ごくまれには、自閉症の子どものなかにも、ある程度人なつこく、模倣性があり、共感性を持って、行事などを楽しむというタイプの子どももいます。そういう子の場合は、その子の発達や特性に合わせて育児をしてあげればいいのです。同上p.293)

 

私は、保育士の資格を取ってからすぐに療育機関で働いたため、むしろ発達障害の認定を受けているお子さんたちと接している方が時間が長いのです。

そして、今転職をして、保育所で働いているのですが、逆のカルチャーショックのようなものがあります。やはり、障害あるなしはともかく、その子どもの特性に合った支援をしてあげなければかわいそうなことになるな、というのが率直な感想です。

これならば、保育所での勤務が長い保育士さんが、発達障害の子どもへの対応も知っているかというとそうとも限らないな、と思わされています(もちろん知識が豊富な先生もおられるし、1割くらいの子どもが発達障害であるとも言われているので、対応に慣れている先生もたくさんいると思います)。

自分の自戒も込めて、その子に合った支援方法というのは意識して正確にキャッチしなければと思っています。

 

まとめ

自分自身も心掛けたいこととして、色々と書いてみました。

要は、「その子に合った支援方法を」ということなのですが、そのためには知識も情報も経験も必要だということです。

また、基本的には、親御さんの話や困っていることがあればそれを聞く、という姿勢が、子どもへの幸せに繋がるということも忘れずにいたいと思います。

保護者としても保育者としても思いますが、せっかく親子になれたのだから、

「私がいるからこの子は幸せ、この子がいるから私も幸せ」

という蜜月を、過ごして欲しいし過ごしたいなと思いますね。

 

 

 

 




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